「おふざけ」と「いじめ」の境界線はどこ?
〜わが子の「楽しかったよ」の裏側〜
「いじめって、いったいどこから始まるのでしょうか?」
先生は「お互い様」「対等に」と言います。
他の子同士も同じようなことをしているから、
「ちょっとしたおふざけ」だと。
しかし、うちの子に起きていることは本当にそうなのでしょうか。
攻撃が「おふざけ」で済まされない理由
・座ろうとした瞬間に椅子を引かれて尻もちをつく。
・何もしていないのにバカにされ、ボロクソに言われる。
・上手く言い返せない子を相手に、一方的にからかう。
これは、された側が心身の苦痛を感じています。
特に、上手く言い返せない子、力の弱い子を選んで行われる行為は、
断じて「おふざけ」ではありません。それは、いじめです。
障害特性が原因で生まれる「構造的な不公平」
うちの子には、障害による特性があります。
・物事を順序だてて説明するのが難しい。
・咄嗟の時に言葉が出てこない。
この特性が、学校で深刻な不公平を生んでいます。
きっかけは相手なのに、我慢できず手を出した瞬間に
「ケンカ」とみなされ、先生に怒られる。
順序立てて説明できる子の言葉が優先され、
うちの子は責任を押し付けられ、
何も言い返せないまま罰を受けている。
息子の言うことより、「しっかりと説明できる子」の言葉が信じられる。
私たちは、この「構造的な不公平」の中で、
子が自己肯定感を深く傷つけられている現実を見ています。
6年間の「愛の伏線」
こんな毎日を送りながら、息子は6年間ずっと、
私の「今日、学校どうやった?」の質問に、
毎日笑顔で「楽しかったよ」と答えます。
胸が締め付けられる思いです。
息子は、私に心配をかけまいとしているのか、
あるいは、自分なりに嫌なことを切り替える努力を
しているのかもしれません。
社会に出ても、同じような、もっとひどい不公平があるかもしれません。
だからこそ、私は今、未来のために「愛の伏線」を張っています。
相談できる病院とのつながりを作る。
将来、自分で調子を整え、助けを求められるように。
何より、自分で気持ちを切り替える方法、
嫌なことがあった時の気分転換の方法を見つけてほしい。
過去のネガティブな経験を、ポジティブな力に変えていく。
これは、私が提供している「感情のデトックス」や
「愛の伏線回収」の考え方そのものです。
下の子たちも含め、子どもたちが、自分の心の声に従い、
人生を力強く生き抜くための「リセットスイッチ」を
見つける手助けを、私は続けていきます。